休符・静寂・フェルマータ

ピアノ弾き語りシンガーソングライター、ミキコのブログです。

なかった事にされた事について その2

mikicopiano.hatenablog.com

事件を明らかにすることで、不利益を被る方達が大勢いることは知っていました。

 

昨年1/18、週刊現代の記事が出る前に、面識のある元川崎市議、山内和彦氏にメッセンジャーでお伝えをしたのは、面識のある関係者の方達に、事前にお伝えする事により、ダメージを軽減したいと思ったからです。


開高健ノンフィクション賞を受賞した後に事件が報道される畠山理仁氏には、共通の知人を介して事前にお伝えしようとまで思っていました。

 

皆、人を見る目がなく運が悪いだけの被害者であると思ったからです。

 

今となっては、どうでもよいことになりました。
山内氏は刑事告訴をなかったことにして加害者の選挙応援をしたし、
映画「立候補」はなかったことにして当選記念上映をしました。
畠山氏が加害者の当選を祝うツイートをされているのをみました。

 

事件が報道された際、「加害者から話をきいた」「冤罪だ」
という関係者の方たちいらっしゃいましたが、
他人が同じ事を言っているのを聞いたら、そのおかしさに気づく方たちであると思います。

 

先日、「事件は知っていたけれど、本を読んだら加害者は善人でまっとうな人物に思ってしまった」というひととお話をしました。


知性も教養もある、正義を愛する方だと思います。
そういう方ですら、そう思うのかと驚きました。

(とある書店の店長が、ウェブ書評サイトに「黙殺」の書評をアップされたとツイートされていたので、事件をご存知なのかリプで質問したところ、DMにて、所属を明らかにされた上で、問題を認識され、書評を取り下げられた件について書いています。やりとりをする上で、知性も教養がある、正義を愛する方だとは思わなくなったので、また別エントリで書きたいと思っています。2022年10月22日追記)

 

今の段階で加害者を善人として描かれた本を読んで感動している方たちは、事件を知らないのだと思っていました。

そうではなく、本を読んで、「事件は冤罪だったようだ」と納得されているのではと気づきました。

 

被害者の逆恨みにより告訴され報道されたのだったら、重大な人権問題です。
選挙の当選が禊であると思っている人、それが与党議員であれば醜悪に感じるでしょう。

 

ですが、そういうものなのだろうと、納得してしまうのです。
恐ろしいことだと思います。

 

わたしはなかったことにしたひとたちを責めるつもりはないです。
選択の責任を負うのは個人であり、個人の関係者であり、個人の生きる社会です。

 

リテラシーのないひとたちが彼らのお客様になるのでしょう。
お客様のことも馬鹿にして、これからどのような作品を作っていくのかと思います。

 

誰もが好き好んで他人の不正義をなかったことにはしないと思います。
自ら悪を行うのとは訳が違います。

 

黙る事が最善であると、大の大人が、クリエイターなりジャーナリストが思った。
そして、黙る事により、仕事が続いている。
そういう社会に生きていらっしゃるのだと思います。

 

わたしがかつて本を買ったことのある出版社、足を運んだ映画館がそれを良しとしていることが本当に残念だと思っています。

 

映画を上映するなとか、本を絶版にしろとかは一切思っていないです。

 

黙ったまま作品を宣伝し続け、「セクハラ冤罪被害に遭った」「行き過ぎたmetoo」という加害者の主張を後押しし、冤罪だったというミスリードを黙認するのはあまりに無責任であると思っています。

 

(2022年10月22日、実名を追記しました)

 

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